「コープスパーティー」の原作者であるチームグリグリの祁答院 慎氏 1996年,「第2回 アスキーエンタテインメント ソフトウェア コンテスト」のゲームツクール部門にて最優秀賞を受賞した,チームグリグリによるPC-9801用ホラーアドベンチャーゲーム「コープスパーティー」。同作はインディーズゲーム業界でカルト的な人気を博し,2009年にはWindows向けのリメイク作となる「コープスパーティー ブラッドカバー」も発売された。 そして2010年8月,ついにPSP向けタイトルとしてコンシューマー版「」(以下,コープスパーティーBR)が5pb.から発売され,ホラーアドベンチャーゲームとしては異例のスマッシュヒットを記録。さらにはコミカライズやドラマCD化など多くのメディアミックス展開にも恵まれ,今年の9月には,続編となる「」(以下,コープスパーティーBS)が発売されるなど,コンシューマゲーム業界でもその存在感の大きさを示した。 今回,Cheap Diablo 3 Gold,はそんな「コープスパーティー」の原作者であるチームグリグリの祁答院 慎氏に対してインタビューを行った。「コープスパーティー」シリーズの歴史からクリエイターとしてのルーツまで,深く切り込んだお話を聞いてきたので,同作ファンのみならず,ホラーアドベンチャー好きの読者にお届けしたい。当然のことのように「コープスパーティー」次回作についても(チラッと)触れているので,お見逃しなく。 卒業課題をスルーして「コープスパーティー」を制作 : 本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介を兼ねて,祁答院さんの経歴を教えてください。 祁答院氏: 始まりは大阪芸術大学の漫画研究会です。そこでチームグリグリ(祁答院さんの所属する同人サークル)初期メンバーの,オガワコウサクや濱本麻央と出会いました。僕を含めた3人ともゲームが大好きで,「卒業したらゲーム業界に行こう」と全員が思っていたんですよ,ブーツ アグ。 : ある意味,将来を誓い合った関係というわけですね! 祁答院氏: そう表現しても過言ではないんじゃないかと思います。在学中から,みんなでそう決めていましたから。 : その後は,どういった流れで現在の形に落ち着いたのですか? 祁答院氏: それぞれ別々のゲーム会社に就職することになりまして,ひとりは新潟,ひとりは兵庫(神戸),僕は柧─龋娛陇胜蓼扦衰啸楗啸椁朔证欷沥悚い蓼筏浚ㄐΓ?br> その後は各々がゲーム業界で働いていたのですが,ある時そのうちのひとりが会社を辞めて上京してきまして
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